polly/Hymn

3年前。

やっとやりたいことが自分の中で固まって、先生の元で学びたい!と思った矢先、大学のゼミの選考に落選し、何のために大学に入学したのか分からなくなった。大学を辞めることを本気で考えて、高校生の時に入りたかった音楽の専門学校に編入しようかと両親に相談したら、当たり前に猛反対された。電話越しに泣かれ、泣き、何を伝えても聴く耳持たずな母親に嫌気がさし、家族の縁を切ることさえも考えた。帰る家を失くす覚悟でいた。大学の友人とも、音楽がきっかけで仲良くなった友人にも本音を話すことができず、ひとりで勝手に塞ぎ込んで、好きな音楽を聴くことさえも嫌になった。好きな音楽を聴くことで苦しくなった。でも音楽抜きにした生活は彩りも何もなく、そんな自分が情けなかった。心の拠り所だった音楽も自ら手離し、どこを頼りにして生きていけば良いのか分からなかった。こんな毎日を変えたいと思いつつも何もできなかった。

そんな日々が続いて、わたしは騒がしく動く感情を殺したいと思った。

感情と向き合うのが怖くて、ずっと眠っていたいと思った。眠っている時は何も感じずに済むから。それでもいつかは迎えてしまう朝が怖かった。目を閉じたらいつかは目を開けてなければいけないときが来る。嫌でも感情が生まれてくる。いつまでも暗闇に沈んでいたいと思った。目が覚めるたびに絶望した。またこの生活がはじまっていく。こんな自分との生活が。こんなことなら感情なんていらないと思った。

だけど、時間が経てば感覚も麻痺して、こういう日々に慣れていって、こんな日々の中でも笑ったり、楽しんだりできる自分がいた。

そんな日々が3年前にあった。


今年の1月、pollyの自主企画が宇都宮であった。そこではじめて披露された新曲を聴いたとき、今までにないくらいの安心感と優しい光と希望を感じた。Hymnという曲。わたしはそのとき、3年前に塞ぎ込んでいた自分の手を引いてくれたような気がした。朝が来るのが怖くて、ずっと夜に居座っていた自分に、朝の優しくてやわらかい光を見せてくれたような気がした。感情を失くすことに必死になって、ぎっゅと強く目を閉じることしかできなかった自分に「大丈夫さ 今夜はおやすみ」と歌ってくれた。

Hymnという曲に、3年前の自分が救われた。

あれだけ苦しかった日々のずっと先に、こんな日があるなんて、あのときちゃんと悩んでちゃんと苦しんで、でもポイと捨てるようなことはせず、生きていてよかったと思った。こんなタイミングで、こんな風に、あのときの自分が救われるなんて思いもしなかった。何にも頼りたくない、頼れなかったあのときの自分に、いま手が差し伸べられたんだなってホッとした。人生って何が起こるか分からないんだなぁって少し笑えた。

先日、今年最後に宇都宮でpollyをみてきた。いちばん最後に歌ったのはHymnだった。2019年も色んなことがあった。3年前よりも初めてのことばかりで感情に振り回されたまま、今まで以上に塞ぎ込んで、喜怒哀楽と向き合った1年だった。そんな1年の最後にまた「おやすみ」という、いちばん優しくて安心できる言葉を聞けたのは、今のわたしにとってのいちばんの救いだったかもしれない。